ここまできた脳科学、これからの脳科学
脳科学とテクノロジーを組み合わせたブレインテックは、7.5兆円規模の潜在市場があるとも言われますが、実際にどこまで実用できているのでしょうか?
本記事では、具体的な事例をもとに、ブレインテックの現状、利用が期待されている分野やユースケース、今後の展望を紹介します。
目次
ブレインテック市場の状況
現在、世界のブレインテック市場はどのような状況になっているのでしょうか。世界では、すでに1400社以上がブレインテック市場に参入しています。その60%弱が北米で、ヨーロッパ、イスラエル地域が約25%を占めています。ブレインテックへの投資額は年々増加し、今後も新規参入と市場拡大が見込まれています。
なぜ今、ブレインテックがこのように拡大しているのでしょうか。背景には、脳科学の発展に加えて、エレクトロニクスと機械学習の進化があります。デバイスの進化によって、高精度な情報収集が可能になり、AIによって、データ処理の精度・速度が格段に向上しました。
こうした技術面の発展により、ブレインテックを用いたソリューションは、医療用途から産業用途に拡大し、市場での認知も進んでいます。
現在、ブレインテックで必要になる脳へのアクセスには、大きく分けて2種類があります。脳に直接電極を埋め込む「侵襲型」、外部から計測する「非侵襲型」です。侵襲型は、精度は高くなりますが、安全面のリスクは未知数です。非侵襲型は、精度では劣るものの、より安全な方法と言えます。
下図は、侵襲型・非侵襲型の計測手法の一覧です。
どの方法を選択するかは、目的、用途、予算によって決定されます。こうした方法で、脳の活動を計測し、さまざまな用途で活用するのがブレインテックです。
ブレインテックのユースケース
ブレインテックはどのようなユースケースで活用されているのでしょうか。代表的なものを紹介しましょう。
<医療診断>
医療診断の分野ではブレインテックが定着しています。例えば、発作性意識障害、脳血管障害、薬物中毒など、それぞれに特有の脳波が、診断に利用されています。
<ニューロマーケティング>
従来のマーケティングにブレインテックを取り入れたのが「ニューロマーケティング」です。脳の反応から本当の感情を読み解いて、マーケティングや製品開発に活用する手法です。
例えば、次のような場面での活用が考えられます。
- 従来のアンケートの代替として、製品開発に活用する
- 脳活動の活性化のエビデンスとして、利用効果を訴求する
- 動画や音楽といったコンテンツの評価やリコメンデーションに活用する
ブレインテックとの親和性も高く、近年非常に注目されている領域だと言えるでしょう。
【マクニカのニューロマーケティングの一例】
プラス株式会社様の文房具「COE365」シリーズのプロモーション活動では、ターゲットを中高生に絞り、「放課後の教室」「朝の通学電車」など、5つのシーンにマッチする「エモい」音楽とイラストを作成。実際にその「エモ音」を高校生が聴いたときの脳波を測定して、集中度や感情の動きをマップ化しました。このマーケティング手法が評価され、製品へのアクセス増加、売上アップというポジティブな結果をもたらしています。
<自動車業界>
ブレインテックは自動車業界でも広く研究され、各メーカーが独自のコンセプトで検証を行っています。例えば、次のような取り組みが行われています。
- ドライバーの眠気や乗り心地のモニタリング
- ドライバーの状態に応じた車体の制御
- エンターテインメント性の向上
<BMI(Brain Machine Interface)>
BMIは、脳をコンピューターに直接接続して、機器制御や文字入力を行う手法です。侵襲型デバイスを埋め込み、神経疾患の解決を目指すNeuralink社、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の脳波から文字入力に成功したSynchron社、ALS患者の文字入力の治験を計画している大阪大学病院などが代表的です。侵襲型のサービスが実用化されると、医療分野での飛躍的な発展が見込まれます。
<ゲーム・メタバース>
プレイヤーの心理測定への活用、新しいインターフェースとしての利用など、人と仮想空間をつなぐ役割が期待されています。
<ニューロフィードバック>
一方的に脳の状態を計測するだけでなく、脳にフィードバックを行う手法が「ニューロフィードバック」です。ADHD(注意欠如・多動症)やてんかんの治療、プロスポーツや学習分野のパフォーマンス向上に活用されています。
<教育・人事>
生徒の集中力と興味度の確認、企業での人材マッチング、労働者の脳波測定による労働安全管理といった用途でも、ブレインテックが活用されています。
マクニカのブレインテック~脳波AIの強み~
マクニカはイスラエルのブレインテック企業InnerEye社と提携して、国内のブレインテック市場の開拓に取り組んでいます。
同社は、認知神経学の権威であるヘブライ大学のLeon Deouell教授、電子工学の権威であるベングリオン大学のAmir Geva教授によって設立されました。両氏のアカデミアのな知識と経験をバックグラウンドに、脳波とAIを融合させた製品展開を行っているのが特徴です。
マクニカも、脳科学とAIの融合を加速する組織「Brain AI Innovation Lab(BRAIL)」を設立し、国内での脳波AIの普及を推進しています。
私たちは、ブレインテックの中でも「脳波」を利用したソリューションを展開しています。脳内では860億個以上のニューロン(脳神経細胞)がシナプスで接続され、相互に通信しています。このときの電気信号を、脳波計測機であるEEGデバイスで計測し、ノイズを除去して脳波を抽出します。
EEGデバイスで計測した脳波を同社のアルゴリズムで解析し、製品化したのが、次の2つのプロダクトです。
- 「Sense I」:匠の暗黙知をAI化し、画像検査・画像診断などを自動化する
- 「Sense Plus」:脳波AIを用いて、定量的に感情分析を行う
それぞれどのようなプロダクトなのか、紹介しましょう。
<匠の判断値をAI化する「Sense I」>
Sense Iは、代表的な例を挙げると、空港での手荷物検査に採用されています。省人化や検査精度向上に貢献しています。手荷物検査で想定される危険物は多岐にわたり、組み合わせは無限にあります。通常の画像処理AIは「学習させたものしか検知できない」「大量の学習データが必要になる」「アップデートが追い付かない」という点が、自動化の課題となっていました。
Sense Iでは、AIモデルに不可欠な教師データの作成に脳波を活用しています。具体的には、次のような流れで行います。空港手荷物検査の例で見てみましょう。
- まず、手荷物検査官が脳波計を装着し、脳波調整を行います。
- 次に、手荷物のエックス線写真を1秒間に3枚のペースで画面に表示します。
- 検査官は画像を見て、荷物内に不審物や危険物があるかを判定します。
- 検査官が「危険」と認識した画像データと、そのときの脳波データが、教師データとして分類されます。
この画像分類の仕組みには、人間の認知処理時に出る「事象関連電位」という信号を使っています。事象関連電位は、特定の視覚刺激によって特徴的な信号を出す特性があり、学術的な研究でもよく参照されています。
例えば、検査対象のエックス線画像が安全な荷物であれば、注意を払う必要がなく、一定の脳波パターンが出現します。一方、危険な荷物を見たときには、脳が活発に反応し、0.3~0.6秒後に脳波が振幅を示します。こうした脳波の反応と画像を同期することで、画像分類を実現しています。
安全・危険の判断基準や境界線は言語化が困難ですが、脳波を活用することで、そうした課題も解決できます。分類された画像には、判断の確信度がソフトラベルとして付与されます。このソフトラベルをもとに重みづけを変化させることで、最終的に検査官の判断基準に似たAIモデルを構築できます。
脳波AIを利用するメリットとターゲットをまとめましょう。
【脳波AIモデルのメリット】
- エキスパートによる高品質なラベリングを実現できる
- データ準備からAI学習までのサイクルが、高速化できる
- 実運用に耐えうる精度でAIモデルを構築できる
- AIモデルの開発コストを削減できる
【脳波AIモデル活用のターゲット】
- 通常のAIでは対応が難しい、複雑な対象物
- 経験値への依存度が高く、パターン化しづらい判定基準
- 大量のデータ処理が必要なケース
こうした例では、脳波AIが力を発揮します。課題をお持ちの方はぜひご相談ください。
【その他のSense I 活用事例】
- 農業における画像分類(開発中)
農作物の病気を診断できる専門家の脳波から、AIモデルを作成。全国の生産者は、スマートフォンのアプリから写真をアップロードするだけで、専門家と同等の診断を受けられるサービスです。病気の早期発見、被害拡大防止を実現できます。 - 遠隔医療への応用(想定例)
経験値の高い、大学病院の医師の脳波からAIモデルを作成。地方病院や専門外医院からレントゲンやMRI画像をアップロードすることで、大学病院レベルでの一次診断をどこからでも可能にするサービスです。病巣の早期発見、見落とし防止、医療費削減が期待できます。 - インフラ診断AIへの応用(想定例)
橋、道路、線路、基地局、電柱、マンホールといった設備・機械の保守専門家の脳波から、AIモデルを作成。専門知識を持たないアルバイトやドローンが撮影した写真から、劣化状況、精密検査要否を判断するサービスです。AI診断で異常があった場合のみ、専門家が現地確認を行うことで、作業効率化が期待できます。
<感情・状態をモニタリングする「Sense Plus」>
次に、Sense Plusについて紹介しましょう。Sense Plusでは、何かをしているときの集中力、興味度、疲労度などを時系列で可視化できます。
例えば、自動車の運転シミュレーターを使って、「通常運転時」と「スマートフォンを見ながらの運転時」の脳波をそれぞれ解析し、比較します。スマートフォンを見始めると、集中力や興味度の低下がグラフ上に現れます。「ながら運転」の影響を、客観的なデータとして可視化できます。
Sense Plusを用いて、長時間運転による疲労の影響を測定することも可能です。自動車関連では、「ドライバーの状態解析」「乗客の乗り心地のモニタリング」「危険を感じたヒヤリハットシーンの検出」「危険時の認知機能の変化」など、さまざまな使い方が検証されています。
ブレインテックの今後の展望
最後に、今後の展望です。これからブレインテックはどのようになっていくのでしょうか。
課題として、脳を扱うことへのプライバシー配慮やルールづくり、品質のばらつきによる信頼性の低下、侵襲型装置の安全性の担保といった点が挙げられるものの、ブレインテックの市場規模、投資金額、参入メーカーはいずれも拡大傾向にあります。
今後も、マーケティング、ゲーム、自動車、メタバースなどでの採用は増加するでしょう。その中から、ブレインテックを使ったサービスの一般化が進んでいくと予想されます。
技術面でも、計測機器の小型化、軽量化、デザイン性の進化によって、日常生活での使用が後押しされて、ユースケースの拡大や普及に貢献すると見込まれます。脳とコンピューターを直接つなぐBMIも、徐々に実用段階にシフトしていくでしょう。
ブレインテックは今後、より身近なサービスになると確信しています。マクニカとInnerEye社は、ブレインテックによる社会課題の解決、ウェルビーイング社会の実現に向けて、脳波という切り口で貢献していきます。